ほんの記録

読書日記など、とりとめもなく

依田高典『「ココロ」の経済学』(3)

  今日は第3章「モラルサイエンスの系譜」を読みました。
なんというスローペース(笑)

 主流派経済学は、利己的で合理的なホモエコノミカスを仮定してきました。それに対して、行動経済学は、感情に揺らぐ存在である生身の人間の復権運動でした。ここで、注意を喚起したいのは、経済学の歴史の原点ともいうべき「スコットランド啓蒙主義」と呼ばれる学派の描く人間像が、むしろ行動経済学に近いことです。(p70-1)

そうそう、そうなんですよね。

以前『道徳感情論』を途中まで読んだことがあって(岩波文庫…すごい悪訳で挫折)、その後堂目卓生アダム・スミス』も読み、「行動経済学の主張って200年も前にアダム・スミスがとっくに言ってるじゃん!」ってなんか感動したんですよね。経済学者のみなさん200年間「経済学の父」の掌の上で踊ってただけなのではないかと。

アダム・スミス―『道徳感情論』と『国富論』の世界 (中公新書)

アダム・スミス―『道徳感情論』と『国富論』の世界 (中公新書)

 

 だから、以前読んだファイナンス系の方が書いた行動経済学の入門書に違和感がありました。そこには、「アダム・スミスを基礎とする伝統的な経済学理論」と「行動経済学・行動ファイナンス」があたかも対立する理論であるかのような図が描かれていました。

行動経済学入門―基礎から応用までまるわかり

行動経済学入門―基礎から応用までまるわかり

 

 でも、実際は、アダム・スミスから行動経済学を含むすべての経済学の枝が伸びているのが正しい図ですよね。

さて、このアダム・スミス以降の経済学の発展は、ミル、マーシャルらを経て、ロビンスに至ると完全にモラルサイエンスとしての面影を消失してしまいます。しかし近年のセンらのネオ厚生経済学行動経済学の発展はモラルサイエンスの復権であると著者は位置づけています。

共感や啓蒙された利己心。こうした概念こそ、経済学が制度化され、モラルサイエンスから独立していく中で、置き忘れたものでした。今こうして、経済学の内側で、スコットランド啓蒙主義の時代から200年以上経って、ヒューマニズム復権が見られるのは喜ばしいことではありませんか。ここに、私は、モラルサイエンスとしての経済学のあるべき姿、そして行動経済学が学問的に貢献する道を見ます。(p98)

 行動経済学=モラルサイエンス、という位置づけは何となく強引な気もしますが、経済学がモラルサイエンスであるべきという著者の主張には共感します。

モラルサイエンス復権の旗手として取り上げられているセンも、その著者の中で次のように言っていることを思い出しました。

自己利益に基づく行動を信奉・支持する人々がアダム・スミスに見出そうとした根拠は、実際にはスミスの著作を幅広く偏見のない目で読めば見出しがたいものである。道徳哲学の教授にして経済学の先駆者であったスミスは、決して分裂症的な生涯を送ったのではない。事実と言えば、現代経済学においてスミス流の幅広い人間観を狭めてしまったことこそ、現在の経済理論の大きな欠陥の一つにほかならないとみることができるのである。 アマルティア・セン『経済学の再生』(p48) 

経済学の再生―道徳哲学への回帰

経済学の再生―道徳哲学への回帰

 

 センも、自らをアダム・スミスの正当な嫡子であると位置付けているようです。