ほんの記録

読書日記など、とりとめもなく

依田高典『「ココロ」の経済学』(2)

 

勤め人で本を読む時間を取るのが大変。さらに気力を読書に向けるのがもっと大変です。

万人向けの易しい新書でも毎日30~50ページくらいがせいぜい。今日は行動経済学の誕生(第1章)と、行動経済学の面白さの紹介(第2章)の部分を読みました。ちんたらちんたら。

 

行動経済学の面白さが簡単に紹介されているのですが、もう他書で何度も読んでいるので個人的には今更という感じ。それに対して面白いなぁ、と思ったのがこんな記述。

学問の良いところが多くの学者に認められることは良いことです。しかし、書店に行くと、行動経済学のコーナーが作られ、お手軽・安直な行動経済学のハウツー本が溢れている状況を見ると寂しい気持ちと怖い気持ちが入り交ります。(p67)

著者は行動経済学の専門家なのに行動経済学が世に広く認められた現状を「寂しい」「怖い」と言っています。なぜか。

21世紀は生命科学、なんかずく脳科学の時代だと言われます。いつか、人間の脳機能が遺伝学と神経科学の視点から、もっと本質的に解明される時代が来た時に、ココロをブラックボックス化する主流派経済学、それに気の利いたスパイスを振りかける行動経済学は、時代の流れに付いていけずに一気に陳腐化し、昔のスコラ哲学のように、時代の徒花として忘れ去られてしまう危険性を感じるからです。(p67)

行動経済学はもともとは主流派経済学が前提とする人間の合理性に対する鋭い批判の学であったのに、主流派に食い込むためにマイルド化し批判の牙を失ってしまった、と著者は見ています(「恒星の周りを回る惑星の地位に成り下がった」という過激な表現まであります)。それが「寂しい」ことですし、主流派の没落とともに行動経済学も一気に凋落してしまうのではないか、それが「怖い」と言っています。

 

このあたり、反主流の経済学が強い(という勝手なイメージを持っています)京大っぽいなあ、と思いました。ずいぶん前の本ですが、塩沢由典氏や佐和隆光氏の以下のような本を思い出しました。 

近代経済学の反省 (経済学研究双書)

近代経済学の反省 (経済学研究双書)

 

 

経済学とは何だろうか (岩波新書)

経済学とは何だろうか (岩波新書)

 

 

一方で、ミクロ経済学の中級レベルの教科書を見ると、ここに行動経済学の知見を組み込むのは大変だろうなあ、できるんかいな?と素朴に感じてしまいます。

現在の行動経済学は恒星を回る惑星なのかも知れませんが、ずいぶんと小五月蠅い、恒星から見たら目障りな惑星なんじゃないでしょうか。社会学みたいにこのまま体系化されずに雑多な感じで発展していくんでしょうかね。鋭く対立はしないかもしれないけれど、主流派経済学のコアの部分がじわじわと内部浸食されていくんじゃないかという気がします。素人ながら。

 

次はいよいよアダム・スミスの登場です。