ほんの記録

読書日記など、とりとめもなく

伊神満 『「イノベーターのジレンマ」の経済学的解明』

メモ。

 だから「正しい」理論があるのではなく、何らかの「研究目的」に照らして「有意義」で「便利」な理論があるだけである。車を運転するときには道路地図を、電車で行くときには路線図を、登山ルートを決めるには地形図を使うのと同じだ。
この点を失念すると、ムダな論争に人生を浪費する羽目になる。くれぐれも注意してほしい。

 学説の「お勉強」そのものや、出来上がったモデル自体に価値はない。
 「どういう切り口から現実を解釈するか」
 試行錯誤するモデル化の過程こそが、真に貴重な経験なのだ。その経験こそが私たちの現実認識をシャープに、理論についての理解(妄想力)をディープにしてくれるだろう。(p185-6) 

 なるほど。

この本いいですよ。推理小説のように謎の解明を楽しみながらすいすい読める。
その合間に、こうした含蓄に富んだ言葉が時々飛び出してきて「おおっ!」となる。素晴らしい。
他に気に入ったのが次の部分。

彼(クリステンセン)の手法は、取材と、言葉による記述だけなので、良い意味でも悪い意味でも「フワッと」している。……現実のいろいろな側面を言い当ててはいるのだろうが、「答え」が何だったのか結局ウヤムヤのままだ。生煮えである。……

経済学的に煮詰めれば、「ジレンマ」のメカニズムも含めて、色々なことが自ずと明らかになるはずだ。
 そして、ひとたび事態が明確になれば、「では、どうすべきか?」という次なる問いに対して大局的な見地から答えることが出来る。
 それは経営学と経済学の幸福な分業である。泥臭い素材と洗練された調理法を結び付けることで、新しい知識やものの見方が生まれる。私はそういう研究が好きだ。(p155-6)

いい本読みました(まだ途中だけど)。

 

「イノベーターのジレンマ」の経済学的解明

「イノベーターのジレンマ」の経済学的解明

 
イノベーションのジレンマ 増補改訂版 (Harvard Business School Press)

イノベーションのジレンマ 増補改訂版 (Harvard Business School Press)

 

 

クロード・レヴィ=ストロース『野生の思考』

野生の思考のこれらの面はことごとくサルトルの哲学にも見出される。まさにそれゆえにこそ、この哲学は野生の思考を批判する資格がないと私は考える。等質であるということだけで、その可能性はなくなるのである。それに対し、民俗学者にとっては、この哲学は(他のすべての哲学と同様に)第一級の民族誌的資料である。現代の神話を理解しようとすればその研究は不可欠である。(p300) 

 なんだこのマウント取りは(笑)

本当に笑ってしまうのですが(苦笑)、山口周さんがTwitterサルトルレヴィ=ストロースの論争はボーヴォワールを巡る痴話喧嘩なんじゃないかとおっしゃっていて、そくざにこのフレーズを思い出しました。

  そうなんですかね(笑)

 

野生の思考

野生の思考

 

 

V・E・フランクル『夜と霧』

 

夜と霧 新版

夜と霧 新版

 

 

「一人の人間が家に帰ったが、あちこちで会う人間からただ肩をすくめるか、安っぽい定まり文句だけしか受けとらないことが判ると、彼はひどく不満に捉えられてしまうのも稀ではなかった。そしてその不満は彼に、自分はいったい何のために耐えてきたのかという疑問を抱かせてしまうのである。彼が殆ど到るところで「私たちは何も知らなかったのです…」とか「私たちも苦しんだのです…」とかいう通例の話し方しかされないと、彼はこれが一体人が彼に言い得るすべてなのだろうかと自らに問わざるを得ないのである」(p203)

 NHKの「映像の世紀」でも同じような話がありました。
収容所の内と外。人の心にも壁を造ってしまったようです。

ロック『市民政府論』

 

市民政府論 (光文社古典新訳文庫)

市民政府論 (光文社古典新訳文庫)

 

 

 法の目的は、いかに誤解されようとも、実は自由を奪ったり縛ったりすることにあるのではない。
逆に、自由を保ち広げることにあるのだ。というのも、法を受け入れる被造物にしてみれば、いかなる立場にあろうとも、法がなければしょせん自由はないからである。なにしろ自由とは、他人から誓約や暴力を受けない状態であり、それは、法を欠くと成立しないのだから。(p83)

 

 逆説的ですが、法は自由を保障するため人あるのだ、という指摘。

面白いですね。

森嶋通夫『マルクスの経済学』解説(塩沢由典)

なんだか資本論の入門書、解説書が増えてきて(漫画まである)、古典として読むのならいいのですが、21世紀の今日でもこれを資本主義批判の根拠として考えている入門者がいるみたいなので、現在の標準的な経済学では資本論をどう考えているのか知っておくのもいいのではないかと思います。

ただ、もうこういうのは今更感があるようで入門者が目にする機会がほとんどないですね。政治的に社会主義が失敗した、だからマルクスはダメだとかいう話はTwitterでよく見ますが。

私が勧めるのは森嶋通夫著作集第7巻『マルクスの経済学』の塩沢由典による解説です。一部引用します。

森嶋以降のマルクス経済学は、しばらくは森嶋の問題提起にしたがってさまざまな数学的一般化が試みられた.マルクスの基本定理の拡張もその一部である。しかし、そのような方向に限界があることはしばらくしてひとびとの共通の認識となった。マルクスの基本定理こそ,広い文脈で成立することが分かったが,伝統的なマルクス経済学が正しいとしてきた諸命題は,ほとんど維持不可能なものであった.

 

(しかし)「資本主義の解剖学としての経済学」として置塩・森嶋の方法は十分ではないと考える異端者たちが,いまなおマルクスマルクスの経済学を弁護している.労働価値のこれらの擁護論は,結局,マルクスの資本主義批判を現在に生かしたいと考えているだけである.そのような擁護がマルクスを生かすものだとはわたしには考えられない.理論として,それらは後退的なものでしかない.しかし,解釈を変えればマルクスの立論が現在もなお有効であるという言説は,今後も紡ぎつづけられていくであろう.

 

森嶋通夫は)マルクスに論理の光を当てることにより,それを脱神秘化し,論理的・数学的な検討可能なものにした.その結果,マルクスの合理的核の大部分は,平明なものになった.しかし,この平明さこそ,一部のマルクス経済学者・マルクス学者にとって敵対すべきものである.それでは,マルクスの偉大さが隠されてしまう.かれらはそう感じ,宇野やアルチュセールや森嶋から離れようとしている.わたしの推測によれば,かれらは成功しないであろう.かれらの主流の経済学に替えて,もうひとつの経済学を構築しようとする意図はよい.しかし,マルクスの言説を再解釈するところからそれが生まれることはもはやないであろう.

 

 資本論をお勧めするのも、まあいいんですが、これまでの論争史を無視してはいけません。入門書でもこういったことにきちんと触れるべきだと私は思います。

 

森嶋通夫著作集〈7〉マルクスの経済学

森嶋通夫著作集〈7〉マルクスの経済学

 
マルクスの使いみち

マルクスの使いみち

 

 

20世紀を生きた世代は社会主義のダメさを後世に伝える義務がある

最近、古典的なマルクス主義みたいなことを言ってる若い人がまだ存在していることを知り驚愕しています。

ベルリンに壁があった時代を知っているおじさんおばさん世代は、社会主義がの失敗をきちんと後世に伝える義務があるのではないか、そんな気がしています。

ソ連・東欧などの他国の話だけではありません。「もっとも成功した社会主義」と言われた日本社会についてもそうです。これはある年齢以上の方なら肌で知っています。

「他人への思いやり」「利己心への反発・嫌悪」「競争より協調」という共同体の論理を、家族や隣人といった顔の見える小さな集団の範囲を超えて、経済全体の運営に使おうとしたのが社会主義です。しかしその結果、巨大な非効率性が生まれ、経済は行き詰ってしまいました。最初に見たように、多くの社会主義国は20世紀の終わりまでにほとんど崩壊してしまったのです。つまり、他人への思いやり、公共心といった道徳律が機能する範囲は、われわれが常識で想像するよりずっと狭かったのです。 神取道宏『ミクロ経済学の力』(p454)

われわれがサービスの悪い役所の職員に憤慨するのと同じように、旧社会主義国社会主義の理想どおりに動かない人を粛清したり強制収容所に送ったりしました。しかし、お役所仕事でわれわれを憤慨させる職員も、デパートで笑顔で「いらっしゃいませ!」と言ってる人も、実は同じ人間なのです。たしかに、人間にはサービス精神に多少の差はあるでしょう。しかし、その中でも特にサービス精神にあふれた人たちばかりがたまたま民間企業に入り、そうでない人ばかりがたまたまお役所に勤める、というのはほとんどありえないことです。より本質をついた説明は、「悪いのは、劣悪なサービスでわれわれを憤慨させる人間ではなく、その人をそんな態度にしてしまった社会の制度設計の欠陥である」というものです。社会主義の大きな失敗は、このことに気がつかなかったことです。 同書(p456-7)

上述の若い方には、国や企業の攻撃ではなく、よりよい制度の提案をお願いしたいところです。

ミクロ経済学の力

ミクロ経済学の力

 

 

依田高典『「ココロ」の経済学』(4)

ようやく読み終えました。

平日は1週間かけてやさしい新書を1冊読み切るのがやっとだなぁ。 

 

さてさて、第4章は「利他性の経済学」。
最新の研究によるとどうも人間には「利他性」という性質が備わっているらしい。であれば、経済学も利己性に基づく人間像を離れ、他人の利得を自分の効用として感じる利他性を行動動機として備えた人間像を基礎に置くべきではないか、とのこと。

第5章は「不確実性と想定外の経済学」
有名なナイトの「リスク」と「不確実性」の区分を引いて、不確実性に直面した人間は合理的な判断をしない、という話。

第6章は「進化と神経の経済学」
経済学の新しい潮流、進化経済学と神経経済学の紹介。

そしてラスト第7章は「行動変容とナッジの経済学」
リバタリアンパターナリズムと「ナッジ」の紹介。ナッジ(気付き)とは何か。こんな説明があります。

選択が選択肢の与えられ方に依存する以上、為政者は人間の選択の自由を認めつつも、彼らが後悔しない選択肢を選ぶように選択肢の与え方を工夫すべきではないでしょうか。(p180)

…例えば、税金滞納者に税金を支払うように督促するために、「イギリスの納税者のほとんど(90%以上)が税金を期限内に支払っている」「あなたはまだ納税していない少数者の一人です」というメッセージを手紙で添えるというフィールド実験を行ったところ、税金の納税率が5%以上も高まったといいます。(p181)

これは面白いですね。
ただ、注意しないと、完全な選択の自由の中での選択だと思っていたら実は巧みに誘導されていた、なんてことにならなければいいとは思います。

最後に、著者は従来の「主流派経済学」に「エビデンス経済学」を加えることを提唱しています。

  1. 主流派経済学(伝統的な経済学)
    ミクロ経済学
    マクロ経済学
    計量経済学
  2. エビデンス経済学(新しい経済学)
    行動経済学
    ・実験経済学
    ビッグデータ経済学

正直、両者の関係が今一つピンとこないところはありますが、これは「これほど主流派経済学の分析力と異端派経済学の分析力に差がついた今、主流派経済学に反対のための反対をしても、得るところは少ないと思います(p186)」という著者の状況判断のためこのような形をとった、という理由もあるのでしょうね。

 

というわけで、すべて読み終えました。
著者の「ココロ」が感じられる、とても面白い本でした。

 

最後に、素人ながら私がこれからの「ココロ」の経済学に期待するところを述べるならば、次の2つです。

ひとつは、弱い人たちに寄り添う「弱者の経済学」の復権です。
マーシャルが労働者階級のために経済学を構築したように、合理的判断というフレームから漏れ落ちてしまう弱い人間像を視野に入れた理論構築をしてほしいな、と思います。これは著者も本書の中で述べているところです。

 もう一つは、純粋な知的好奇心を研究の原動力とする「役に立たない経済学」の復権です。
一般的に経済学は景気の安定や経済成長のための学問だと思われているところがあり、それゆえいざ不況になると経済学に批判の声が浴びせられることが多いように思います。しかし、経済学もサイエンスである以上、役に立つ立たない以前に、純粋な知的好奇心、新しい知見を得ることの喜び、理論構築への情熱、こうした気持ちを根っこに持っているはずだと思います。このような気持ちを原動力とする「役立たずな経済学」ももっと発達したらいいなあ、と、思いました。